2011年12月8日木曜日

個性あふれるエスプリ身につけて

1983年(昭和58年) 4月26日 (火曜日)

久しぶりのパリ。マロニエの新緑が目にしみる。ルノー自動車の本社。リクルート(新入社員)の不安と緊張に満ちた雰囲気の中にも、新鮮さが感じられる。この地で欣喜雀躍(きんきじゃくやく)のフランス各地から集まったフレッシュマンを見て、ある種のノスタルジア(郷愁)さえ覚えた。

社内報に出身地別名簿(社内県人会)を掲載したところ、好評を博した。大都会はいろいろな意味でエトランゼ(異邦人)の集まりである。いずれかの時に、同郷を懐かしみ、いたわりあうのもよいものであろう。

「なくて七癖(くせ)」と言われるように自覚していない癖がある。何か質問されると接頭語のように「イヤイヤ……」を連発する「イヤイヤ族」。スピーチの時に「いわゆる……」を無意識の間に何十回もいう「所謂(いわゆる)族」。朝礼時にいかにも忙しげにノートをめくる者。前後にステップする者。実に枚挙にいとまがない。「人の振り見て、我が振り直せ」である。子は親の鏡、「進入社員は企業の鏡」ではないだろうか。画一的教育を終わって、いよいよ社会人。個性あふれるビジネスマンのエスプリ(魂)を見につけてほしい。

映像世代の増加、情報過多、仕事、遊びで多忙、ストレスが多い、本が手に入りにくいなど「活字離れ」の理由はたくさんある。我が社では一番人通りの多いところに「図書コーナー」を設置した。しかし隣のキャッシュディスペンサー(現金自動支払い機)ほど利用されていないのが残念である。カラオケが家族に百万台普及しているという。その影響か、自己表現とマイクの扱いは実に上手である。

感覚人間(テレビ世代)、思考人間(活字世代)と隔絶的に行き方を区別する必要はなかろう。しかし、受身の成り行き行動から、今こそ能動的、創造的行動への切り替え時期である。ピーマン人間(中身がない)からキャベツ人間(中身がある)、セロリ人間(一本筋が通っている)になろうではないか。

(パリにて、慎三)

2011年12月5日月曜日

電算機に負けない総合判断力を

1983年(昭和58年) 3月28日 (月曜日)

桜が咲きはじめた。春、真っ最中である。卒業式、謝恩会、卒業コンパ、入社式、新入社員歓迎パーティー……フレッシュマンがやって来る。グループ企業23社中「太陽」「昭空」だけでも140名のリクルートだ。三語族(ウッソー、ホントォー、カワイー)を連発する若い女の子、漢字族(誤字、脱字、アテ字だらけの若者)といわれる昭和36-40年ごろ生まれた新入社員を大量に迎える。昭和一ケタ族から見れば何もかもが、ゼネレーション・ギャップ(世代格差)である。

家庭で一番抜けているあいさつが”いただきます””ごちそうさま”だとテレビで報じていた。新入社員に聞いてみると、”お早うございます”と朝の挨拶を家族間で交わすのは10人に1人である。会社はそうはいかない。同僚、上司、そしてお客様と何度も何度も頭を下げる。是非一日も早く会釈とあいさつが楽しい習慣になってほしいものである。「あいさつは職場の潤滑油」だからである。

情報化時代である。新入社員にスポーツ紙を片手に出勤するより、経済紙か一般紙の経済欄を読むことをすすめる。入社早々にマイコン、ワープロなどのOA(事務の自動化)機器を使い、ロボット、CAD(コンピューターによる自動設計)などのFA(工場生産の自動化)と取り組むことになる。環境は激変しているのである。

その中で我々は、今日的なカタログレベルの表面的な底の浅いコミュニケーションの応答だけではすまされまい。コンピューターレベルのプログラム、データ処理に負けない判断能力を磨いているだろうか。またロボットレベルの記憶再生の単純繰り返し作業に追い抜かれてしまってさえいないだろうか。反省させられるところである。これからのビジネスマンには、深い意思疎通、電算機に出来ない総合的判断、ロボットが追従できない創造力を装備して、OA、FA時代の機械に負けない比較優位の時代を築いてゆかなければならない。

(慎三)