1983年(昭和58年) 4月26日 (火曜日)
久しぶりのパリ。マロニエの新緑が目にしみる。ルノー自動車の本社。リクルート(新入社員)の不安と緊張に満ちた雰囲気の中にも、新鮮さが感じられる。この地で欣喜雀躍(きんきじゃくやく)のフランス各地から集まったフレッシュマンを見て、ある種のノスタルジア(郷愁)さえ覚えた。
社内報に出身地別名簿(社内県人会)を掲載したところ、好評を博した。大都会はいろいろな意味でエトランゼ(異邦人)の集まりである。いずれかの時に、同郷を懐かしみ、いたわりあうのもよいものであろう。
「なくて七癖(くせ)」と言われるように自覚していない癖がある。何か質問されると接頭語のように「イヤイヤ……」を連発する「イヤイヤ族」。スピーチの時に「いわゆる……」を無意識の間に何十回もいう「所謂(いわゆる)族」。朝礼時にいかにも忙しげにノートをめくる者。前後にステップする者。実に枚挙にいとまがない。「人の振り見て、我が振り直せ」である。子は親の鏡、「進入社員は企業の鏡」ではないだろうか。画一的教育を終わって、いよいよ社会人。個性あふれるビジネスマンのエスプリ(魂)を見につけてほしい。
映像世代の増加、情報過多、仕事、遊びで多忙、ストレスが多い、本が手に入りにくいなど「活字離れ」の理由はたくさんある。我が社では一番人通りの多いところに「図書コーナー」を設置した。しかし隣のキャッシュディスペンサー(現金自動支払い機)ほど利用されていないのが残念である。カラオケが家族に百万台普及しているという。その影響か、自己表現とマイクの扱いは実に上手である。
感覚人間(テレビ世代)、思考人間(活字世代)と隔絶的に行き方を区別する必要はなかろう。しかし、受身の成り行き行動から、今こそ能動的、創造的行動への切り替え時期である。ピーマン人間(中身がない)からキャベツ人間(中身がある)、セロリ人間(一本筋が通っている)になろうではないか。
(パリにて、慎三)