毎日新聞 1982年(昭和57年)2月1日(月曜日)
互いにもっと…言葉を交わそう
「大寒」。吐く息もいてつきそうな今日このごろである。他民族、他言語の入り乱れる諸外国に比し、単一民族、単一言語の日本人社会では言語、習慣の違いから来るトラブルはほとんどなく、「以心伝心」で思っている事が伝わり、「阿呍(あうん)の呼吸で」で気持ちが通じ合い。「腹芸」で説明がなくても理解が出来るグッド・コミュニケーションの社会だといわれた。
ところが、ゼネレーションギャップというのか、最近では職場のタテ社会の中で意思の疎通を欠くことが多い。それというのも日本語のもつ複雑性、曖昧(あいまい)性、また、敬語(尊敬語、謙譲語)のむづかしさ、ニュアンスなどから来るものと思われる。特に大阪弁の相手(お客)を傷つけないための商人言葉、例えば「適当に…」「それなりに…」など、理解に苦しむ言葉も多いと思う。
それだけに、フィーリング世代の若者にもっと言葉をかける必要があるのではないか。「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょく、すくなしじん)」と中国の言葉にあるが、今では逆ではないか、内面的なものを大いに表現し、言葉という媒体を通してともに語り合い、ともに働きの実をあげる必要があると思う
。
「お愛想も仕事のうち」である。あいさつがどれだけ職場の潤滑油になっているか。だれにでも、どこでも会釈を交わし、上下の関係なくどちらからもあいさつを送るべきである。こうした人間関係の中に心も通じ合うものである。
「幸せなら態度で示そうよ…」の歌の文句じゃないが、態度と言葉で示さないことには理解し合えない次代になって来ているのではなかろうか。
「今の若いものは外国人みたいだ」と慨嘆した経営者がいたが、それほど疎外感と隔絶感に苛(さいな)まされる言葉はない。
間もなくリクルート(新入社員)が今年も入って来る。職場への適応性と赴任当初の淋(さび)しさに対して「温かい言葉」こそが真の潤滑油と言えるのである。
(慎三)
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