1982年(昭和57年) 10月11日(月曜日)
世界同時不況下、中南米企業進出基礎調査の旅に出た。有資源国で中進国のメキシコ、ブラジルを選んだ。八百億ドルの借金で国家財政破局の危機に直面しているメキシコは、銀行国有化で一段落ついたものの、地下資源を盾に開き直りの感がある。
長い歳月の間に好不況の浮沈も多いが、今回のダメージは大きく、日系の進出中小企業の中には引き揚げを考えている会社さえある。石油にわいたメキシコにも大変なカントリーリスクが隠されていたのである。まさにスペイン語の「マス オ メノス」(英語では「プラス オア マイナス」で、まあまあいいやの意)の連発である。
ブラジルでもポルトガル語の「マイズオメノス」と言い、厭世的な同意語がある。毎年100%のインフレ率に、今後大きなナショナルプロジェクトがほとんどなく、経済に活性がない。しかし日本と同じ人口で国土は二十二倍、資源はいたって豊富である。不況下とはいえ両国ともラテンアメリカ特有の陽気なムードがあふれている。
日本では三ズ主義といえば、「読まず、考えず、学ばず」であるが、進出企業の幹部氏に聞くとブラジルでは、「怒らず、あせらず、あきらめず」だそうで、お国柄と日本進出企業の辛抱づよさがわかる。
五十年前ブラジルへ渡り、千人を擁するトップ農機具メーカーとなったJACTO社の西村社長に再会する。数年前、私の会社にみえた時、コーヒー収穫機の油圧化をアドバイスした。今回その高さ5メートルの大型機が完成し、試乗させてもらう。八百人分の仕事を片づける高能率である。西村氏はポンペイアに渡伯五十年を記念して、私費で農工専門学校を設立、ブラジルに骨を埋めるつもりで奮闘しておられる姿を見て感激であった。
また、造船所を造って二十二年間の苦労が実り、石川島ドブラジル社は同国の50センタボのコインの図柄にまでなっている。折りしも浩宮さまのブラジル訪問で七十万人邦人はわいている。けだし、これからの企業の真の国際協力は単なる貿易にとどまらず「技術をたずさえた人材輸出」ではなかろうか。
(慎三)
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