2011年9月20日火曜日

経済鎖国を脱し、国際人脈づくりを

1983年(昭和58年) 1月31日(月曜日)

日本の真冬、大寒にアセアンをはじめとする中小企業サミットと国際貿易投資コンベンションがはじめて大阪で開催された。投資セミナー、工場視察ツアー、業績別懇談会、個別商談会など新しいビジネスのチャンス、パートナーを求めて意義深いものであった。工場視察ツアーの中、9カ国、33人がロボット生産工場の見学に来社された。ロボットが「WELCOME」と筆で書いて歓迎し、その色紙を全員に持ち帰っていただき、大変喜んでもらった。

 席上「日本の中小企業経営の特長」をスピーチした。欧米のレイオフ(一時解雇)制度に対して安定雇用制(終身雇用制ではない)、実力主義を加味した年功序列制、職場別労組に対して企業別労組など十数項目にわたってその特質にふれた。中でもボトムアップによる人間関係管理を中心とする参画、合意によるチームワーク重視の集団主義、すなわち「おみこし経営」については、理解してもらうのに相当時間を要した。

 一方、サミットの討議の中に、マレーシアは「日本産業の高度化に伴い、付加価値が低くなった技術をどんどん移転してほしい」と要請、スリランカは「第三世界は先進国の中古機械の捨て場ではない」とも述べた。自国の工業基盤と技術蓄積、技術レベルに見合った技術移転が望まれているのではないか。

 国際版「異業種交流プラザ」ともいえる「国際中小企業情報センター」や「中小企業大学校海外研修コース」の設立など、単なるお祭り騒ぎから中小企業を活性化させる複合的な施策が必要な時である。

 サミット参加国はそれぞれ国情、特性があろうが、中小企業レベルでの新しい国際交流、国際協力によって、貿易摩擦のさなか「鎖国、繁栄の弧島、国際音痴」などの悪口を一掃し、真の国際社会への一員として心を通わせ、国際人脈作りに努力すべきである。

(慎三)

温かい心と英知が、より必要な時

1982年(昭和57年)12月13日(月曜日)

 ボーナスが出た。お歳暮のシーズン。歳末商戦たけなわである。江戸時代に商家の間に年二回の決算期である盆と節季(大晦日-おおみそか)に贈り物をする商習慣が生まれ、後に武家社会へと普遍化したという。お歳暮は、一年間の総決算として、お世話になった人や、仲人、親類、縁者、親友などに親愛の情と感謝のしるしとして贈られてきた。時代、生活形式、つき合いの方法が変っても、実生活に定着している。贈答習慣は結婚とともに始まり、高年齢になるほど、そのつき合いの広さとともに増加傾向にあるというが、平均七・八件とのこと。

 しかし贈り物とともに形がい化し、虚礼廃止を叫ばれながらお正月の年賀状は国民感情としても、商習慣としてもコミュニケーションに大いに役立つものである。個人的には年齢の五倍程度の年賀状のやりとりが多いようだ。取引先へ出す賀状には単調な祝詞に加え写真、図案、色を効果的に活用し、印刷だけでなく担当者も一筆書き添えるなど創意工夫がほしいものだ。

 管理職に次のことを質問してみた。部下の出身校、誕生日、血液型、部下の家庭訪問、部下を自宅へ呼んだか、など。ほとんどが仕事の忙しさにかまけて十分でなかった。時間外、会社外、仕事外の”三外”こそが部下との太いパイプではなかろうか。

 ミノルタカメラの情報システム部では、管理職3人以外は部員26人全員が、一日中コンピューターのディスプレイとの対話で、ME(マイクロ・エレクトロニクス)化による人間疎外が心配とのことである。

 ME(NC、MC、産業用ロボット、OAなど)化により、単純繰り返しの非人間的ダーティーワーク(危険、非衛生、過酷作業)から解放された。しかし一方でME化に追い越され、MEジレンマ(矛盾)におちいり、ME化時代への再教育、配転にも適応性を示さない「ME落ちこぼれ族」が問題児となる。技術革新時代を温かい心と英知で切り開いてゆかねばならない時代が来たのである。
(慎三)

2011年9月15日木曜日

運と根と鈍…経営者のカギ



1982年(昭和57年) 11月15日(月曜日)

「あくび、無愛想(ぶっちょう面)、かげ口、舌打ち、ふところ手」。これが三越小僧(店員)の五禁である。「ぶっちょう面のなおらぬ者はやめて、葬儀屋の小僧となるべし」など、今に生きるユニークな家憲の一節である。

三百十年の歴史をもち、「今日は帝劇、明日は三越」とうたわれ、物質文明の頂点のように思われ、三越の包装紙が上流指向の象徴でもあった。

しかし、流通業界はスーパーの大旋風。三越はダイエーに抜かれ、ニセ秘宝展、岡田前社長の逮捕と、すっかりブランドイメージを落としてしまった。

先日、久しぶりに糸川英夫先生の発想法をお聞きした。「悪口を言われたら、ニコッと笑え。自分(自社)の悪口をメモする。その悪口の裏がえしが新製品である。」と。悪口をいわれれば、しかめ面が普通である。笑顔で返し、冷静にメモをとり、反省材料とする。なかなか言うはやすく、行うのに骨が折れるものである。

長たるものは単に職業的能力に優れるだけでなく、人間的能力(器量、度量、情義)を兼ね備えねばならない。また長を補佐する謀臣(参謀)は、決断を促し、激励し、間違いを正す力量が必要で、イエスマンであってはならない。顔色をうかがうだけの従属集団から真の自立集団を育ててこそ経営者といえる。

中国のことわざに「順理則裕 従欲惟危」がある。「利に従えば裕(ゆた)かなり、欲に従えばすなわち危うし」である。社会の公序良俗、会社の秩序に従えば発展し、よこしまな考えで欲ボケると会社を危うくする。ゴルフだってギリギリ最短距離をねらってOBを出すものである。目先の欲望にまどわされることなく、しっかりとした大局観をもつべきである。

人との出会い(運)、いい発想の持続力(根)、敵を作らず吸収する(鈍)。この運、根、鈍、が処世術のカギではなかろうか。強大な権力におもねることなく、常に自戒の念をもって経営に全力投球すれば、伝統はますます精彩を放つものである。

(慎三)

2011年9月14日水曜日

企業の国際協力は技術と人材

1982年(昭和57年) 10月11日(月曜日)

世界同時不況下、中南米企業進出基礎調査の旅に出た。有資源国で中進国のメキシコ、ブラジルを選んだ。八百億ドルの借金で国家財政破局の危機に直面しているメキシコは、銀行国有化で一段落ついたものの、地下資源を盾に開き直りの感がある。

長い歳月の間に好不況の浮沈も多いが、今回のダメージは大きく、日系の進出中小企業の中には引き揚げを考えている会社さえある。石油にわいたメキシコにも大変なカントリーリスクが隠されていたのである。まさにスペイン語の「マス オ メノス」(英語では「プラス オア マイナス」で、まあまあいいやの意)の連発である。

ブラジルでもポルトガル語の「マイズオメノス」と言い、厭世的な同意語がある。毎年100%のインフレ率に、今後大きなナショナルプロジェクトがほとんどなく、経済に活性がない。しかし日本と同じ人口で国土は二十二倍、資源はいたって豊富である。不況下とはいえ両国ともラテンアメリカ特有の陽気なムードがあふれている。

日本では三ズ主義といえば、「読まず、考えず、学ばず」であるが、進出企業の幹部氏に聞くとブラジルでは、「怒らず、あせらず、あきらめず」だそうで、お国柄と日本進出企業の辛抱づよさがわかる。

五十年前ブラジルへ渡り、千人を擁するトップ農機具メーカーとなったJACTO社西村社長に再会する。数年前、私の会社にみえた時、コーヒー収穫機の油圧化をアドバイスした。今回その高さ5メートルの大型機が完成し、試乗させてもらう。八百人分の仕事を片づける高能率である。西村氏はポンペイアに渡伯五十年を記念して、私費で農工専門学校を設立、ブラジルに骨を埋めるつもりで奮闘しておられる姿を見て感激であった。

また、造船所を造って二十二年間の苦労が実り、石川島ドブラジル社は同国の50センタボのコインの図柄にまでなっている。折りしも浩宮さまのブラジル訪問で七十万人邦人はわいている。けだし、これからの企業の真の国際協力は単なる貿易にとどまらず「技術をたずさえた人材輸出」ではなかろうか。

(慎三)