2012年10月23日火曜日

世界の街角で5 ベルリン 壁は壮大なギャラリー


東欧変革、ドイツ統一、そしてEC統合。「大欧州」への多元、寛容、自由の理念のもとに21世紀へベルリンは大きく動き出した。

「万国壁絵美術展」
4世紀半ぶりのベルリン訪問である。電波(衛星放送)がベルリンの壁を崩壊させた。激動の東欧民主化の大きな波がうねり、「壁」が崩れて1年半である。東欧冷戦の象徴であった残滓がベルリン市内から消えていくのに従い、全ヨーロッパ統合の新しい秩序づくりが急ピッチで進んでいる。
 東西ベルリンを隔てていた壁、役32キロの殆どが消滅した。ブランデンブルグ門周辺の風景も一変し、観光客が、どこに壁があったのか戸惑うほどである。しかし、ゲシュタポ本部のあったプリンツアルプレヒトゲレンデの壁200メートルを戦争記念に残すほか、「イーストサイドギャラリー」の名で新たな観光地となったシュプレー川沿いの旧東ベルリン・ミューレン通りの壁も残されるという。
 ここは世界各国の画家118人が約1.3キロの壁をキャンパス代わりに、自由、平和などをテーマに絵を描いた。「万国壁絵美術展」よろしく、風刺画あり、サイケ調あり、漫画ありで様々に描かれ、その大作、力作は東西対立の遺物として道ゆく人々に今も語りかけている。
 夕方と早朝の2度カメラを持って訪れたが、この壮大なオープンギャラリーを眺めていると、ドイツ統合への不安と期待、そして過去の支配者への嘲笑と建設への喜びが交錯しているように感じられるのである。

ベルリン美術館
 旧東ベルリンの国立近代美術館でナチスがフランス人から没収した後、行方の知れなかったルノワール、クールベなどの未公開絵画が見つかり、日本でもその様子が話題となった。
 また、世界の三大美術館といわれるベルリン美術館は旧東独のすさまじい経済崩壊のため、その復旧公開がおくれている。是非ともその神髄に触れたいものである。
 東ベルリンのシュプレー川が分岐するあたりにできた美術館島と呼ばれるゾーンには多くの美術館が密集している。東独の現代作品の展示もあったが、リアリズム、印象派、表現主義、シュールレアリズム…などのスタイルのうえではクラシックモダンどまりの作品群で、戦後の美術の動向がほとんど反映されず、時の停滞と体制の差を感じるのである。


パックス・ゲルマニカ
 ドイツ統一=圧倒的経済力=マルクの支配という図式で強大ドイツが動き出した。しかし統一前に西独の3分の1とされた東独の生産性は落ちつづけ、現在4分の1しかなく、工場閉鎖と失業の続出である。
 西独の一級市民、東独の二級市民、裕福と困窮、発展と凋落、成功者と失敗者、日の当たる市民と独裁下の市民、統一後のドイツには問題山積である。しかし経済巨人の丸抱えで「東ドイツがポルシェに乗って西へ行く」と東欧諸国から冷やかされながら、やはり「21世紀はパックス・ゲルマニカ(ドイツの時代)」を予感するのである。



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