ウィーンといえば、芸術の都、音楽の都、バロックの都、そして、森の都。何世紀もの間、ヨーロッパの政治、文化の中心であり、その栄光の歴史はハプスブルグ時代の建築物や、華麗な美術品からもうかがことができる。
「音楽の都」はモーツァルトづくし
ヨーロッパ大陸の中央に位置する永世中立国、オーストリアは古くから欧州の各都市を結ぶ交流点として栄えた。またその首都ウィーンは、東ヨーロッパのゲートウェイとしても重要な位置にある。
今年はウィーンで活躍したモーツァルトの没後200周年にあたるとあって、モーツァルト記念切手、モーツァルトチョコ、モーツァルトリキュール、CD、カセット、レコード、ポスターと、街中モーツァルトづくめである。国際列車、観光船、音楽院に名前を冠するだけでなく、広場、橋、生家、墓、記念碑など枚挙にいとまがない。621曲を作曲し、36歳の若さで没した天才ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは幸せ者である。
圧巻のブリューゲル
また国立オペラ座、楽友協会ホールなど音楽の都にふさわしい建造物も数多くある。
その中でハプスブルグ家歴代の収集品を展示した、かつての宮廷美術館」の美術史館は見事である。ボッシュの「十字架を担うキリスト」、ルーベンスの「毛皮を被う夫人」、バンダイクの「夫人の肖像」、ベラスケスの「王女マルガリータ」、ラファエロの「草原の聖母子」、デューラーの「一万人の殉教」、その他レンブラント、ジョルジョーネなど7000点余りの絵画が、作者別に独立した部屋に展示されている。
とりわけブリューゲルの「農民の婚宴」「バベルの塔」「農民の踊り」「雪の狩人」「ベツレヘムの幼児虐殺」など、その壮大なコレクションには圧倒され、まさに感銘の連続である。
ユーゲント・シュティール
美術家からの帰途、在ウィーン大使館の加治一等書記官に連れられ国立の絵画オークション(取引所)を訪れた。2,3点欲しい絵があったが、結構高いものであった。それにひきかえフローマルクト(のみの市)は、アンティークのコスチューム、絵画、家具などウィーン名物だけあって、一種の文化散策の場としても面白いところだった。
世紀末の芸術アール・ヌーボーを、ドイツ語ではユーゲント・シュティールという.郵便貯金局、カールスプラッツ駅、マジョリカハウスなどオットー・ワーグナ設計の建物をまのあたりにした感動は別格である。
文化の歴史と歴代権力者の収集の歴史はまるで違うとはいえ、日本にはない極めて高い質と、膨大な量の所蔵品や超弩級の目玉の作品を、館の売り物にできる西欧の博物館や美術館には、えもいわれぬ感銘と潤いを改めて覚えるのである。
北浦慎三
(大阪商工会議所異業種交流研究会コーディネータ)