2012年8月9日木曜日

余暇にも望みたい「ゆとりの構造」

1983年(昭和58年) 7月25日(月曜日)

入道雲が夏空にわき出した。いよいよ学校も会社も夏休みシーズン到来である。なかんずく企業の夏季休暇は、七月の終わりから盆に集中し、自動車会社などは十連休の所まである。また海外ではバケーションが長く、商売のネゴシエーションもしばらく途切れることになる。

バケーションとは頭をベーカント(空っぽ)にする意である。日本人は総じてレジャー下手である。せっかくの夏休みも「テレビでゴロ寝」ときめこんでいる。特に中高年世代にはレジャーを罪悪視し、、浪費ときめつけ、上司、同僚に気をくばりながらの遠慮がちな話題でしかない。そういう筆者もいつものことながら、いまだに仕事に追われて、休暇の計画も立てていないのが実情である。

働きバチ、働き中毒と海外からそしられながらも、正月、ゴールデンウィーク、夏休みは”民族大移動”を思わせる旅行の盛況である。レジャー(余暇)には、一、仕事の疲れをいやし、ストレスを解消する。二、スポーツ、けいこごとの様に目的意識をもって、自由時間を使う。三、遊びそのものを自分の趣味として楽しむ、という三つの意義があると思う。

日本人はテンション(緊張)民族と呼ばれているが、遊びにもまた、徹底してカンカンになる。例えば、真夏のツーラウンドゴルフ、徹夜マージャン、決死的ロッククライミング、注意報下のいそ釣り、などである。趣味、スポーツもその道の奥義をを究め、華道、茶道、柔道、剣道からゴルフ道、ジャン道(マージャン)、パチンコ道と、トコトンまでやる。欧米のバケーションの様に、ただぼんやりと海浜ですごす、この「ゆとりの構図」とは異質なものなのである。民族性の違いとはいえ、日本人はレジャーにも常に生産性を考えている様にみえる。

「これはだめ」「あれはいけません」の教育ママゴンによる禁止語が70%を超すと、これを「母源病」といい、受身の「指示待ち人間」ばかりを作ってしまう。余暇利用にも、自主性のある「明日の活力を引き出す」楽しい、安全な、個性あふれるバランスのとれた過ごし方をのぞみたい。
(慎三)

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