2009年3月27日金曜日

「ニーズ」を知り「シーズ」を見いだす

毎日新聞 1981年(昭和56年)11月2日(月曜日)

「ニーズ」を知り「シーズ」を見いだす

来春卒業の学生が毎日のように訪問する。いろいろたずねてみるとセールスに対する拒否反応が相当ある。対人折衝の不得意なもの、言葉(敬語、方言)で困るもの、赤面恐怖症に悩むものなのである。

それに引きかえ、我社では理工化系も含めて大卒新入社員のほとんどを一~二年営業部内に配属、教育をする。

生産財マーケティングでのセールス活動は組織が組織に商品を売る訳である。「販売とは購買の援助である」と言われるのは、購買者の立場に立って、今相手 が何を求め、何を援助すれば販売が成功するかを考えることである。すなわち顧客のニーズ(欲求)を知り、理解して、そこにはじめてシーズ(開発の種)を見 いだすことができ、真の商品の研究開発に取り組む基本ができると思う。
「新製品はそれをもって歩いた人によって成功する」。大変好きな言葉である。苦労して作り上げた新製品も、市場で日 の目を見ずにスクラップ化されるものは、八五%ほどにもなると言われる。これは開発成功率だけの問題ではない。むしろ、この新製品を最終ユーザーに直接に 対面折衝し、そのニーズを開発部門にフィードバックし、その商品にほれ込み、執念をもって売り込む。この行動が真の開発マンを育てるものである。

プッシュセールス、これは単なる売り子ではない。企画力とインテリジェンス(情報)に裏づけされたセールスマンこそが、時代の要求するセールスパワーで はなかろうか。自然に「売れる」時代はもう過ぎ去ったのである。低成長時代に生き残る真の「売る」力のあるセールスマン、またセールスエンジニアを、顧客 の欲求を先取りする「種」を探し当てる為にも育成する必要を痛感するのである。(慎三)

2009年3月25日水曜日

自分の“見え”を踏み台に飛躍を

毎日新聞 1981年(昭和56年)10月12日(月曜日)

自分の“見え”を踏み台に飛躍を

入社試験たけなわの今日このごろ、毎日が来春卒の学生との面接対応に追われる。最近の学生気質を三ム主義(無気力、無関心、無感動)とか三ズ主義(読まず、学ばず、考えず)とか評する向きもあり、何か平均的で特徴がない学生の多いのが気になる。

就職となると安定志向(官庁)など大手思考(大企業)をはじめ、長男なるが故に転勤をいやがり、対人折衝のわずらわしさからセールスを忌避する。

面接試験に自分の自覚する長所、短所を述べてもらう。長所で多いのは明朗、忍耐、社交的、積極的など。短所で多いのは短期、人付き合いが悪い、消極的などである。自分の性格は自分が一番良く知っていて、また一番わかっていないものである。

「私は口ベタで交渉事はダメで…」という学生が、質問外のことにもどんどん発言し、卒論の内容を黒板を使って上手に説明してゆく。意外と固定観念で自分をきめつけている者が多いのに気づく。
陽気といえば長所で、おてんばといえば短所となるように、陰気といえば短所だが、おしとやかといえば長所になる。グズ(短所)というより、慎重といえば長所となるものである。言葉だけの問題ではない。欠点は裏返せばその人の長所になりうるわけである。

「短所をためて長所を伸ばす」自他共に言えることである。叱責より賞揚が効果的であることも衆知のことである。

人間には自分をよく見せようとする見えがあるものである。この見えが自分を向上させるメカニズムとして働くといえる。人前で発表し、その発表に対して自 分を強制する有限実行型こそ向上心のあらわれである。個人法人を問わず、目標の設定と自助努力が前向きの姿勢なのである。

高跳びのバーは常に上げられてゆく。周囲がそれを見ている。今、それにチャレンジしてゆくのが真の向上心である。

(慎三)

2009年3月19日木曜日

ピンクカラーとスチールカラー

毎日新聞 1981年(昭和56年)9月21日(月曜日)

ピ ン ク カ ラ ー と ス チ ー ル カ ラ ー

パートタイマーの職場進出は家庭的安定と新たな生きがいを求めてめざましいものがある。わが社のような産業用ロボットメーカーでも大歓迎である。娘時代の職場経験を生かす人、単なる主婦として社会的に取り残されたくないと、社会的意義を認識する婦人たち。この人たちが最近ホワイトカラーやブルーカラーに対して「ピンクカラー」と呼ばれ、職場の実戦力となっている。わが社では納涼大会の「ゆかたコンテスト」の審査員、TCR(原価低減運動)の発表者など、業務以外の活躍ぶりもいままでにない観点から実に新鮮であった。

それにひきかえ、過酷な労働、単純作業、悪環境労働からの解放。省力、品質安定などの生産性向上をねがって、多種少量生産や混流生産ラインの自動化に自由度の高い産業用ロボットが飛躍的な導入期に入っている。我々はこのロボットを「スチールカラー」と呼んでいる。十年程前には高価なばか者扱いされていたロボットが、いまでは日本が全世界の七割(約七万台)を独占生産し、三直労働に換算すると」二十万人以上の労働者に相当するロボットが昼夜働いていることになる。

一般的にはロボットは人間の代替物と考えられているが、単なるマニピュレーターから知能ロボットまで、その範囲は広い。簡単に言うと手をもった自動化機械と考えればよい。決められた作業を繰り返す「固定シーケンスロボット」から、作業手順を教え込むと記憶、演算し作業する「ティーチング・プレイバック・ロボット」。、感覚機能や認識機能を有し、自律的に行動する「知能ロボット」まである。

ロボットが単に生産現場で使用されるだけでなく、一次、三次産業での活用が望まれる。木材伐採ロボット、家畜解体ロボット、建築仮枠組み立てロボット、高圧線碍子清掃ロボット、身障者看護ロボットなど概念設計が既にされているのものがある。

OECDが最近、日本のロボット進出を経済摩擦に次ぐ経済侵略と恐れをなしていると聞く。愚かなことである。

究極、ロボットは人間の敵ではない。人間の偉大な補助者として使いこなすのもまた人間である。ロボットがロボットを作る時代になったとはいえ、しょせん人間が主人公である。

(慎三)

2009年3月18日水曜日

人と人とを結ぶ「ありがとう」の一言

毎日新聞 1981年(昭和56年)8月31日(月曜日)

人と人とを結ぶ「ありがとう」の一言

「おはよう」「ありがとう」「おかげさまで」「すみません」などなど。

私たちの日常にあるあいさつ。なかでも最も使われていい言葉として「ありがとう」-このお礼の一言をあげたい。この一言がギスギスした日常の人間関係をどれだけ和らげ、潤いを生みだしてくれるかははかりしれないと思うからである。

「ありがとう」。この言葉の意味するもの、それは、いま、この時が人生の中で、いま、このかかわりあいがお互いの中で“有り難き刹那(せつな)”なのだから、この一瞬を感謝する気持ちと説く人もいる。また“会い難し”のなまりともいわれている。一期一会の茶の心、禅の心を論ずるまでもなく、まさに天文学的な偶然の出会い。これを会い難しと感謝する気持ちというものであろう。

さる時、ある会社の人たちと一緒に約一ヶ月以上も働く機会を得た。一日、二日、何かしっくりした一体感の中で仕事ができないもどかしさを味わった。

そしてある時、どうしようもない瀬戸際に立たされ、無理を承知で限界以上の仕事をせざるを得ない局面に追いこまれた。

無理を承知で次々にシリをたたく私に「人間扱いして下さい」という相手の言葉。思わず「満足なあいさつもできないお前ら、人間か!」と怒鳴りつけてしまった。他のいきさつもあったとはいえ、旬日以上を共に働きながら「おはよう」「お願いします」「ありがとう」こんな簡単なあいさつもなかった職場。大きな声をあげた時、本当にゾッとしたものだった。人間の根源さえも忘れた集団にすぎなかった数日、ほんとうの仕事ができようはずがなかったことはいうまでもなかった。

「ありがとう」。改めて私はこの言葉のヒビキに心から喝采を送りたい。握手する目に見えない心の手、人と人とを結んでくれる、自分の心の中に住むちょっと“小粋な使者”なのだと考えるから-。

(慎三)

2009年3月16日月曜日

強制的自己開発とT字型人間

毎日新聞 1981年(昭和56年)8月10日(月曜日)


強制的自己開発とT字型人間

 学生生活から社会生活に入ると、途端にビジネス社会の専門分野の仕事に取り組む事になる。専門知識の習得とその分野の専門家として仕込まれ、いつの間にか「専門バカ」になりかねない。そこで上司は常に「自己啓発」を連発する事になる。
 元来学生時代から勉強が好きでたまらなかった人は比較的少ない。もし好きだったとしても特定の学科のみだったと思う。試験という強制的プロセスがあるから一夜づけの詰め込み学習をする。また成績を公表され恥ずかしい思いをするから、がんばるというサイクルを描くものである。
 T字型人間を目指すT字の縦(スペシャリストの専門知識)は日々の業務を通じて深くつっ込んでゆくが、ともすればT字の横(ゼネラリストとしての幅広い業務知識)はおろそかになりがちである。
 日常のテレビ、新聞を見るのはごく表面的、一般的な情報収集であって、ビジネスに必要な社会常識は情報過多時代の中にあってさえ、だんだん低下していると思われる。
 TSDカード(タイヨー・セルフ・デベロップメント・カード)なるものを考案し、社内の一事業部で試みてみた。縦軸に自己啓発に役立つアイテムを20項目(図書、雑誌、新聞、ラジオ、テレビ、映画、演劇、講習講演会、改善提案、資格取得など)横軸に点数(1-10点)を表し、このマトリックスをいかに決められた期間に多くの点数を記録するかを競わせたものである。三期にわたる実験の結果、飛躍的に点数が上昇し、幅広い知識と盛り上がる自発的意欲が見えて来た。
 「強制的自己啓発」-嫌な語感であるが、自己啓発のプログラム化、スケジュール化のことである。組織内で何らかの示唆、強制力で働いてこそ勉強の動機づけとなり、またそれが次代をになう者へのよりよい伝承義務を果たすことになるのではないか。(慎三)


毎日新聞 1981年(昭和56年)8月10日(月曜日)

2009年3月7日土曜日

「なにくそ」の気迫、執念そして和

毎日新聞 1981年(昭和56年)7月13日(月曜日)

中小企業流通 「なにくそ」の気迫、執念そして和

 「なにくそ」-言葉としてはあまり上品なものではない。しかし、何が何でもがんばり抜くぞといった気迫が感じられる。先月亡くなった太陽鉄工の創業者会長の大変好きな言葉であった。「なにくそ」。この言葉に裏の”ガンバリズム”を感じ、創業者の遺稿集を「なにくそ人生」と名づけた。

 辛抱とは耐え忍ぶことである。現代の若者気質は「苦労は買ってでもせよ」といった苦業思想が無く、せつな的快楽思想が中心である。また物事を判断するのに長期的、多角的、対極的見方を欠き、感情的、短絡的判断に陥りやすい。海外での一連の留学生殺人事件をみても、この辛抱の無さがうかがえる。

 ビジネス社会に必要なものは「ひつこさ」ではないか。あまりにもものわかりのよすぎる管理、経営層が多すぎる。土光敏夫さん(臨時行政調査会会長)の言葉に「わかっていてやらないのは、わかっていないのと同じだ。やっても成果がでないのは、やらないのと同じだ」というのがある。成果主義に徹し、やり直す執念が欲しいものだ。対話を交わす相手は大勢である。意外と自分自身に飽きが来て、繰り返し言い続け、やり続ける勇気がしぼんでしまっているのである。

 また「やるべきことが決まったならば、執念をもって、とことん押しつめよ。問題は能力の限界ではなく執念の欠如である」というくだりがある。知・徳・体・意の中で一番修練のいるのがこの意思力、執念である。あらゆる外的要因、内的要因を克服して刻苦勉励しなければならない。「志なきは人に非ず」といわれる。意思力を強化するには自分にマッチしたチェックポイントを持つべきである。

 しかし執念とともに「和」をも強調したい。和としては共同して仕事を進めたり、調整を図ることだけではない。お互いに譲りあい、必要とあれば自我を折ることをも意味している。企業全体の目標達成のためには、個人的利害をさしひかれてでも「なにくそ」とがんばらなければならないのである。(慎三)

2009年3月6日金曜日

まえがき

経済コラム、経営随想などを連載執筆しはじめてから丁度10年になった。各方面からのご要望もあって、今までの主だったもの、連載ものばかりを集め、名の愼三から「しんぞう随筆」として、印刷出版する事にした。

元来「筆不精」

旧姓中学から新制高校と新聞部に顔を出し、大学の時、新聞部長をやった。阪急電鉄の創立者小林一三氏にインタビューをし、紙面を飾ったことも覚えている。又、朝日新聞学芸欄に「ニュース映画評」が載ったのが、1950年で、一般紙に掲載された最初の原稿だった。

教鞭をとっていた時に学校新聞の顧問を勤め、太陽鉄工へ来てからは、ほぼ4半世紀の間、社内報の発行責任者であった。爾来、大阪府経営合理化協会の編集 委員会(現在の情報融合化委員会)、東淀川工業協会の広報委員会、日本油空圧工業会の普及促進部会などのお世話をさせてもらい、立場上いろいろの文をもの した。又、読売新聞をはじめ、日本工業新聞の経済人「随想」、日本経済新聞の「交友抄」、産経新聞の「行革」、雑誌では「経済界」「致知」、「創意とくふ う」、「人と経営」「葦」など単発で、コラムから特別寄稿の論文まで何十編を書いた。

86年に出された雑誌「ロボティスト」は名付け親の立場からも度々筆を執った。しかし生来の筆不精で、人から頼まれて書く以外、自分で何かに応募するなど、今までに一度もなかった。

「書くこと」と「しゃべること」

八一年六月末、太陽鉄工の創業者であり、父の北浦冨太郎会長が亡くなった。立志伝中の偉大なおやじの書き残した「なにくそ人生」も出版できた。その直後 毎日新聞社から月一回の経済コラムの執筆依頼があった。気楽に引き受けたものの、八〇〇字のコラムに悪戦苦闘であった。しかし父への追悼文のつもりで、そ しておやじが言い表せなかったことへの伝承義務を果たそうと…とガンバッた。

「中小企業 流通」コラムの三回目を書き終わったころから、海外出張が多く、会社の業務に忙殺され、ついに当時の経済部長(現論説委員)秋山哲氏に執筆辞退のため、毎日新聞社に出向いた。

秋山部長は話を聞いた後、机の上のはがきのたば、約二百枚程をもって「これ全部が北浦さん宛じゃないが、大部分の読者が、”感銘した”など意見を寄せて おられる。新聞社へはがきを書く人は意見をもっている人の百人に一人位だと、統計的に見ているので、これは二万人程の反響ですよ…」と諭され、おだてに弱 い私は奮起一番「経営コラム」が終結するまで三十二回連載を続けた。
最近四・五年は毎月連載三本プラス不定期もの一~二本で、ほぼ毎週の日曜日の夜十時から十二時の二時間を執筆に当てることにしている。ウィークデーは帰りが遅く、又出張も多く、気が散って書けないものである。

月に一~二度講演を引き受けるが二時間のおしゃべりはボリュームの割にはあまり気にならず、気楽にマイペースでやれる。書くことは後に記録が残ることもあり、一言一句慎重を期している。

問題意識 メモ魔

八六年四月から二年間、NHKの第一放送「関西ビジネス情報」(毎週木曜日、午前六時四十三分~五十分)のキャスターを五十一回勤めた。いろんな方の推 挙があって、「七分間の声のコラム」をやらしてもらった。生放送とあって少しはプレッシャーを感じたが、NHKから装置を持ち込み、自宅からの放送とあっ て意外とリラックスして、関西の経済特質を色々なな切り口で語ることができた。
こんなことで何かと常に問題意識をもつようになり、講演や人の話を聞いたり、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのマスメディアにいたるまで、正確なデータ や話題の収集に努め「メモは行動の入り口」の言葉どおり、「メモ魔」になっていた。放電ばかりでなく、充電に注意するようになり、「話し上手より聞き上 手」になった。

言葉の新鮮さ

大学の時に写真部にいたせいか、今もってカメラを手放さない。特に年五~六回の海外出張には、何かと「物語らせる」スナップ写真を心掛けている。

デトロイトやパリから原稿を送り、帰りの機内で新聞掲載の自分のコラムを手にした時など特別新鮮な感懐だった。又、テーマ、見出しなどには特に気をつ かった。新語、造語、合成語や、珍語、流行語など時代、季節感あふれた新鮮な言葉を使うように心がけた。関西大学の大西昭学長から「北浦さんのコラムは シャープで、新鮮、よどみなく読むことができる」とおほめをいただき、日本HR協会の山田宏理事長からは、「文中に問題提起が山ほどある。私なら四~五回 にネタを分けて書きます」と欲張った内容にご批判いただいたりした。

「おだて」そして「励まし」

随筆を連載して十年、その間に「毎回あなたの経営随想を読み上げ、その後自分の意見をいって、朝礼を続けている」とお電話くださる経営者。コラムをハガ キ大に縮小コピーしてはがきに張付け、そこにご意見を記して、出張先から送っていただく得意先、「署員の研修にコピーして教材として使ってもよろしいか」 と警察署長。お誉め、おだて、励まし…いろいろお電話、お手紙頂戴した。

本業の会社経営は多忙を極める。一本たりともこちらから申し出た出稿はない。皆様方からの依頼である。曰く「原稿(仕事)は忙しい人に頼め…」とおだてられ、ついその気になる。しかし、新聞社などの業界内の諺に「原稿より健康」というのもある。心すべきである。

私は評論家ではない。いうだけでなく実行せねばならない。「有限実行」である。だからこれからもコラムの限定枠内で、時代のトレンドを見極め、そして起承転結の辛口の、自己の目標、自分への戒め、自らの「心のこやし」となる言葉を書き綴ってゆきたいのである。

最後に太陽ウィニング株式会社の本社・工場のある岡山は桃の名産地、そして伝説「桃太郎」の国である。真心の犬、技術のサル、そして情報の雉に支えられ て、大いに桃太郎精神を発揮してゆきたい。そんな意図を画家の正明義行先生が挿絵として、地元の熊山、吉井川、瀬戸内海、備前焼の窯などと共に、この随筆 集の表紙・中扉などを飾っていただいた。誌面をかりてお礼を申し上げたい。


一九九一年十一月

北 浦 愼 三 (北浦慎三・眞三)