毎日新聞 1981年(昭和56年)8月31日(月曜日)
人と人とを結ぶ「ありがとう」の一言
私たちの日常にあるあいさつ。なかでも最も使われていい言葉として「ありがとう」-このお礼の一言をあげたい。この一言がギスギスした日常の人間関係をどれだけ和らげ、潤いを生みだしてくれるかははかりしれないと思うからである。
「ありがとう」。この言葉の意味するもの、それは、いま、この時が人生の中で、いま、このかかわりあいがお互いの中で“有り難き刹那(せつな)”なのだから、この一瞬を感謝する気持ちと説く人もいる。また“会い難し”のなまりともいわれている。一期一会の茶の心、禅の心を論ずるまでもなく、まさに天文学的な偶然の出会い。これを会い難しと感謝する気持ちというものであろう。
さる時、ある会社の人たちと一緒に約一ヶ月以上も働く機会を得た。一日、二日、何かしっくりした一体感の中で仕事ができないもどかしさを味わった。
そしてある時、どうしようもない瀬戸際に立たされ、無理を承知で限界以上の仕事をせざるを得ない局面に追いこまれた。
無理を承知で次々にシリをたたく私に「人間扱いして下さい」という相手の言葉。思わず「満足なあいさつもできないお前ら、人間か!」と怒鳴りつけてしまった。他のいきさつもあったとはいえ、旬日以上を共に働きながら「おはよう」「お願いします」「ありがとう」こんな簡単なあいさつもなかった職場。大きな声をあげた時、本当にゾッとしたものだった。人間の根源さえも忘れた集団にすぎなかった数日、ほんとうの仕事ができようはずがなかったことはいうまでもなかった。
「ありがとう」。改めて私はこの言葉のヒビキに心から喝采を送りたい。握手する目に見えない心の手、人と人とを結んでくれる、自分の心の中に住むちょっと“小粋な使者”なのだと考えるから-。
(慎三)
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