2011年8月25日木曜日

「みんなでやれる方法を考えよ」

1982年(昭和57年)8月16日(月曜日)

「みんなでやれる方法を考えよ」

盂蘭(うら)盆、そして三十七年目の終戦記念日が過ぎた。

閑さや岩に沁みいる蝉の声

芭蕉の句がぴったりの今日このごろである。大丸の「戦争展」をじっくりとみる。戦中、終戦直後の苦しかったこと、ひもじかったことがよみがえってくる。

岡谷の悲惨な工女を題材とした名作「あゝ野麦峠」の作者山本茂実氏の体験的人生論を聞かせてもらった。「喜びとは悲しみの深さである」「自由とは不自由をしたことのないものには理解できるものではない」「まずいものを食べたことのないものに、美味、ということはいえない」など。また「今はすべてが有るという所から出発している。昔はすべてが無から出発している」「今はすべてだれかが悪い、他人のせいにする、他罰時代である」……感銘深い言葉が多かった。

それにひきかえ、国民として何とも歯がゆい行革あらし。ついには「ゴルフ善幸。メザシ土光」なる言葉さえささやかれ出した。ゴルフ三昧(ざんまい)の鈴木総理に対して、メザシをおかずに質素を宗として努力される土光さんに行革ファンとして声援を送りたい。

石門心学に日本人はみずからの経済活動を「仏業」と理解し、物を大切にし、祖先を敬い、感謝の念を忘れないものとある。今はそれに対して「三タイ主義」といっていい。「言いたい放題、食べたい放題、したい放題」で、飢え、寒さ、貧乏の逆境を知らず、それに耐え、辛抱し、我慢することができないのではなかろうか。

そして、その考え方が、えてして環境が人を造る、と思いがちになる。「環境が人を造るのではない。人が環境をつくり、心構えが人間をつくる」ものである。短い夏、低成長、不景気……。ビジネスマンは夏バテもできず、頑張っている。「行革つぶし」なるイヤな言葉を耳にする。「やれない理由を探すより、みんなでやれる方法を考えよ」。私の好きな言葉である。

(慎三)

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