2011年12月8日木曜日

個性あふれるエスプリ身につけて

1983年(昭和58年) 4月26日 (火曜日)

久しぶりのパリ。マロニエの新緑が目にしみる。ルノー自動車の本社。リクルート(新入社員)の不安と緊張に満ちた雰囲気の中にも、新鮮さが感じられる。この地で欣喜雀躍(きんきじゃくやく)のフランス各地から集まったフレッシュマンを見て、ある種のノスタルジア(郷愁)さえ覚えた。

社内報に出身地別名簿(社内県人会)を掲載したところ、好評を博した。大都会はいろいろな意味でエトランゼ(異邦人)の集まりである。いずれかの時に、同郷を懐かしみ、いたわりあうのもよいものであろう。

「なくて七癖(くせ)」と言われるように自覚していない癖がある。何か質問されると接頭語のように「イヤイヤ……」を連発する「イヤイヤ族」。スピーチの時に「いわゆる……」を無意識の間に何十回もいう「所謂(いわゆる)族」。朝礼時にいかにも忙しげにノートをめくる者。前後にステップする者。実に枚挙にいとまがない。「人の振り見て、我が振り直せ」である。子は親の鏡、「進入社員は企業の鏡」ではないだろうか。画一的教育を終わって、いよいよ社会人。個性あふれるビジネスマンのエスプリ(魂)を見につけてほしい。

映像世代の増加、情報過多、仕事、遊びで多忙、ストレスが多い、本が手に入りにくいなど「活字離れ」の理由はたくさんある。我が社では一番人通りの多いところに「図書コーナー」を設置した。しかし隣のキャッシュディスペンサー(現金自動支払い機)ほど利用されていないのが残念である。カラオケが家族に百万台普及しているという。その影響か、自己表現とマイクの扱いは実に上手である。

感覚人間(テレビ世代)、思考人間(活字世代)と隔絶的に行き方を区別する必要はなかろう。しかし、受身の成り行き行動から、今こそ能動的、創造的行動への切り替え時期である。ピーマン人間(中身がない)からキャベツ人間(中身がある)、セロリ人間(一本筋が通っている)になろうではないか。

(パリにて、慎三)

2011年12月5日月曜日

電算機に負けない総合判断力を

1983年(昭和58年) 3月28日 (月曜日)

桜が咲きはじめた。春、真っ最中である。卒業式、謝恩会、卒業コンパ、入社式、新入社員歓迎パーティー……フレッシュマンがやって来る。グループ企業23社中「太陽」「昭空」だけでも140名のリクルートだ。三語族(ウッソー、ホントォー、カワイー)を連発する若い女の子、漢字族(誤字、脱字、アテ字だらけの若者)といわれる昭和36-40年ごろ生まれた新入社員を大量に迎える。昭和一ケタ族から見れば何もかもが、ゼネレーション・ギャップ(世代格差)である。

家庭で一番抜けているあいさつが”いただきます””ごちそうさま”だとテレビで報じていた。新入社員に聞いてみると、”お早うございます”と朝の挨拶を家族間で交わすのは10人に1人である。会社はそうはいかない。同僚、上司、そしてお客様と何度も何度も頭を下げる。是非一日も早く会釈とあいさつが楽しい習慣になってほしいものである。「あいさつは職場の潤滑油」だからである。

情報化時代である。新入社員にスポーツ紙を片手に出勤するより、経済紙か一般紙の経済欄を読むことをすすめる。入社早々にマイコン、ワープロなどのOA(事務の自動化)機器を使い、ロボット、CAD(コンピューターによる自動設計)などのFA(工場生産の自動化)と取り組むことになる。環境は激変しているのである。

その中で我々は、今日的なカタログレベルの表面的な底の浅いコミュニケーションの応答だけではすまされまい。コンピューターレベルのプログラム、データ処理に負けない判断能力を磨いているだろうか。またロボットレベルの記憶再生の単純繰り返し作業に追い抜かれてしまってさえいないだろうか。反省させられるところである。これからのビジネスマンには、深い意思疎通、電算機に出来ない総合的判断、ロボットが追従できない創造力を装備して、OA、FA時代の機械に負けない比較優位の時代を築いてゆかなければならない。

(慎三)

2011年11月9日水曜日

機械時代こそ人間固有の能力高めよ

1983年(昭和58年) 2月28日(月曜日)

厳しい寒さがこのところ続いたが、もう目の前に春がやって来た。「ロボットが刻む愛の言葉」とはやされた我が社のロボットも、今年はキャラクター・チョコレートの製造に活躍して、バレンタインデーには大いに注目を浴びた。

「感字世代 テレビ 漫画に育てられ」と時事川柳にあるように、青少年(10-24歳)の64%が「漫才やギャグ、コント番組の真似をした」ことがあり、53%が「アイドル歌手のまねをした」ことがあると答えた。また、ドラえもんやアラレちゃんなどの「キャラクター商品を買った」ことがあるものは38%もあり、テレビの影響力にびっくりする次第である。

消費者のニーズの多様化んい合わせた多様生産時代(FMS)を反映して、個性豊かなキャラクター商品の洪水である。まさにフィーリング世代には、じっくりと感性をとぎすましている時間的余裕はないのかも知れない。

「民放のコマーシャル トイレの時間あり」とよまれているように、15分ごとのコマーシャルが、テレビ番組に投入している時の息抜きであり、用をたすクォータータイムなのである。関学の置塩就職部長が「このごろの大学生は持続力がなく、15分か20分でソワソワ、モジモジする。これはテレビっ子の典型だ…」と言っておられる。今さらテレビの功罪を論ずるつもりはないが、「集中力の欠如と、行動が受身になる」ことはたしかのようである。

成熟化した管理社会の中にあって、新システム、巨大システムが次々に導入されてくる。ロボット、コンピューターが人間領域の仕事を素早く、的確に処理してゆく。その中にあって、人間のみに固有な能力がかえってコンピューターレベルに引き下げられ、退化するおそれさえある。そこで創造性、多様性、総合化、連想、要約、抽象化など人間固有の精神能力を高めるために、受動的、定型的セットメニューを排し、今こそ複雑な問題処理能力を充実させるべきである。

(慎三)

2011年9月20日火曜日

経済鎖国を脱し、国際人脈づくりを

1983年(昭和58年) 1月31日(月曜日)

日本の真冬、大寒にアセアンをはじめとする中小企業サミットと国際貿易投資コンベンションがはじめて大阪で開催された。投資セミナー、工場視察ツアー、業績別懇談会、個別商談会など新しいビジネスのチャンス、パートナーを求めて意義深いものであった。工場視察ツアーの中、9カ国、33人がロボット生産工場の見学に来社された。ロボットが「WELCOME」と筆で書いて歓迎し、その色紙を全員に持ち帰っていただき、大変喜んでもらった。

 席上「日本の中小企業経営の特長」をスピーチした。欧米のレイオフ(一時解雇)制度に対して安定雇用制(終身雇用制ではない)、実力主義を加味した年功序列制、職場別労組に対して企業別労組など十数項目にわたってその特質にふれた。中でもボトムアップによる人間関係管理を中心とする参画、合意によるチームワーク重視の集団主義、すなわち「おみこし経営」については、理解してもらうのに相当時間を要した。

 一方、サミットの討議の中に、マレーシアは「日本産業の高度化に伴い、付加価値が低くなった技術をどんどん移転してほしい」と要請、スリランカは「第三世界は先進国の中古機械の捨て場ではない」とも述べた。自国の工業基盤と技術蓄積、技術レベルに見合った技術移転が望まれているのではないか。

 国際版「異業種交流プラザ」ともいえる「国際中小企業情報センター」や「中小企業大学校海外研修コース」の設立など、単なるお祭り騒ぎから中小企業を活性化させる複合的な施策が必要な時である。

 サミット参加国はそれぞれ国情、特性があろうが、中小企業レベルでの新しい国際交流、国際協力によって、貿易摩擦のさなか「鎖国、繁栄の弧島、国際音痴」などの悪口を一掃し、真の国際社会への一員として心を通わせ、国際人脈作りに努力すべきである。

(慎三)

温かい心と英知が、より必要な時

1982年(昭和57年)12月13日(月曜日)

 ボーナスが出た。お歳暮のシーズン。歳末商戦たけなわである。江戸時代に商家の間に年二回の決算期である盆と節季(大晦日-おおみそか)に贈り物をする商習慣が生まれ、後に武家社会へと普遍化したという。お歳暮は、一年間の総決算として、お世話になった人や、仲人、親類、縁者、親友などに親愛の情と感謝のしるしとして贈られてきた。時代、生活形式、つき合いの方法が変っても、実生活に定着している。贈答習慣は結婚とともに始まり、高年齢になるほど、そのつき合いの広さとともに増加傾向にあるというが、平均七・八件とのこと。

 しかし贈り物とともに形がい化し、虚礼廃止を叫ばれながらお正月の年賀状は国民感情としても、商習慣としてもコミュニケーションに大いに役立つものである。個人的には年齢の五倍程度の年賀状のやりとりが多いようだ。取引先へ出す賀状には単調な祝詞に加え写真、図案、色を効果的に活用し、印刷だけでなく担当者も一筆書き添えるなど創意工夫がほしいものだ。

 管理職に次のことを質問してみた。部下の出身校、誕生日、血液型、部下の家庭訪問、部下を自宅へ呼んだか、など。ほとんどが仕事の忙しさにかまけて十分でなかった。時間外、会社外、仕事外の”三外”こそが部下との太いパイプではなかろうか。

 ミノルタカメラの情報システム部では、管理職3人以外は部員26人全員が、一日中コンピューターのディスプレイとの対話で、ME(マイクロ・エレクトロニクス)化による人間疎外が心配とのことである。

 ME(NC、MC、産業用ロボット、OAなど)化により、単純繰り返しの非人間的ダーティーワーク(危険、非衛生、過酷作業)から解放された。しかし一方でME化に追い越され、MEジレンマ(矛盾)におちいり、ME化時代への再教育、配転にも適応性を示さない「ME落ちこぼれ族」が問題児となる。技術革新時代を温かい心と英知で切り開いてゆかねばならない時代が来たのである。
(慎三)

2011年9月15日木曜日

運と根と鈍…経営者のカギ



1982年(昭和57年) 11月15日(月曜日)

「あくび、無愛想(ぶっちょう面)、かげ口、舌打ち、ふところ手」。これが三越小僧(店員)の五禁である。「ぶっちょう面のなおらぬ者はやめて、葬儀屋の小僧となるべし」など、今に生きるユニークな家憲の一節である。

三百十年の歴史をもち、「今日は帝劇、明日は三越」とうたわれ、物質文明の頂点のように思われ、三越の包装紙が上流指向の象徴でもあった。

しかし、流通業界はスーパーの大旋風。三越はダイエーに抜かれ、ニセ秘宝展、岡田前社長の逮捕と、すっかりブランドイメージを落としてしまった。

先日、久しぶりに糸川英夫先生の発想法をお聞きした。「悪口を言われたら、ニコッと笑え。自分(自社)の悪口をメモする。その悪口の裏がえしが新製品である。」と。悪口をいわれれば、しかめ面が普通である。笑顔で返し、冷静にメモをとり、反省材料とする。なかなか言うはやすく、行うのに骨が折れるものである。

長たるものは単に職業的能力に優れるだけでなく、人間的能力(器量、度量、情義)を兼ね備えねばならない。また長を補佐する謀臣(参謀)は、決断を促し、激励し、間違いを正す力量が必要で、イエスマンであってはならない。顔色をうかがうだけの従属集団から真の自立集団を育ててこそ経営者といえる。

中国のことわざに「順理則裕 従欲惟危」がある。「利に従えば裕(ゆた)かなり、欲に従えばすなわち危うし」である。社会の公序良俗、会社の秩序に従えば発展し、よこしまな考えで欲ボケると会社を危うくする。ゴルフだってギリギリ最短距離をねらってOBを出すものである。目先の欲望にまどわされることなく、しっかりとした大局観をもつべきである。

人との出会い(運)、いい発想の持続力(根)、敵を作らず吸収する(鈍)。この運、根、鈍、が処世術のカギではなかろうか。強大な権力におもねることなく、常に自戒の念をもって経営に全力投球すれば、伝統はますます精彩を放つものである。

(慎三)

2011年9月14日水曜日

企業の国際協力は技術と人材

1982年(昭和57年) 10月11日(月曜日)

世界同時不況下、中南米企業進出基礎調査の旅に出た。有資源国で中進国のメキシコ、ブラジルを選んだ。八百億ドルの借金で国家財政破局の危機に直面しているメキシコは、銀行国有化で一段落ついたものの、地下資源を盾に開き直りの感がある。

長い歳月の間に好不況の浮沈も多いが、今回のダメージは大きく、日系の進出中小企業の中には引き揚げを考えている会社さえある。石油にわいたメキシコにも大変なカントリーリスクが隠されていたのである。まさにスペイン語の「マス オ メノス」(英語では「プラス オア マイナス」で、まあまあいいやの意)の連発である。

ブラジルでもポルトガル語の「マイズオメノス」と言い、厭世的な同意語がある。毎年100%のインフレ率に、今後大きなナショナルプロジェクトがほとんどなく、経済に活性がない。しかし日本と同じ人口で国土は二十二倍、資源はいたって豊富である。不況下とはいえ両国ともラテンアメリカ特有の陽気なムードがあふれている。

日本では三ズ主義といえば、「読まず、考えず、学ばず」であるが、進出企業の幹部氏に聞くとブラジルでは、「怒らず、あせらず、あきらめず」だそうで、お国柄と日本進出企業の辛抱づよさがわかる。

五十年前ブラジルへ渡り、千人を擁するトップ農機具メーカーとなったJACTO社西村社長に再会する。数年前、私の会社にみえた時、コーヒー収穫機の油圧化をアドバイスした。今回その高さ5メートルの大型機が完成し、試乗させてもらう。八百人分の仕事を片づける高能率である。西村氏はポンペイアに渡伯五十年を記念して、私費で農工専門学校を設立、ブラジルに骨を埋めるつもりで奮闘しておられる姿を見て感激であった。

また、造船所を造って二十二年間の苦労が実り、石川島ドブラジル社は同国の50センタボのコインの図柄にまでなっている。折りしも浩宮さまのブラジル訪問で七十万人邦人はわいている。けだし、これからの企業の真の国際協力は単なる貿易にとどまらず「技術をたずさえた人材輸出」ではなかろうか。

(慎三)

2011年8月31日水曜日

お客サービス、工夫と行動


1982年(昭和57年)9月13日(月曜日)

不況の中、東奔西走の毎日だが、よくタクシーを利用する。かつての神風タクシーは減ってきたが、ムッツリドライバーに乗り合わせると、変にものを言って、からまれないものかと気が滅入る。それに反し、クラウンタクシーに乗るとおしぼりが出、日本タクシーに乗ると運転手名入りのティッシュ・ペーパーが出ることで有名である。責任をもってお客さんを送りました、という印でもある。

この日タクでは、ガギグゲゴ社員(がめつい、義理を欠く、グチっぽい、元気がない、ごう慢)は班長にしない。幹部に向くのは、カキクケコ社員(感動する、記録する、苦労を共にする、健康に留意する、交際上手)だと酒井専務が言っておられる。運転手の教育、訓練の大切さがわかる。

十数年ぶりに金沢の機械メーカー、渋谷工業を訪れる。玄関を入るやいなや、全員が「いらっしゃいませ」の合唱である。前回訪問した時の驚きの再現である。渋谷社長は「手を止めてあいさつをしたのでは能率が下がるのでは」の問いに対し「むしろ心の生産性は上がっているはず」との答えに感服する。
一方、装粧品卸の「寺内」では、いまだに「ニコハイス」精神である。お客に呼ばれると、ニコッと笑って、ハイと返事をし、スッと飛んで行く、のである。気持ちのいい職場である。

最近、オアシス運動(おはよう、ありがとう、失礼、すみません)なる言葉を耳にする。いまさらながらという気もするが、身近な簡単なことが徹底して出来ていないのである。

貝印カミソリでは、毎日生産されるカミソリの「試行当番」がいる。試し剃りをして、その日の製品品質を身をもって確認することで、エンドユーザーに交換を持たれている。

仕事とはお客様にどうすれば喜ばれるかを考え、工夫し、行動することではなかろうか。

(慎三)

2011年8月25日木曜日

「みんなでやれる方法を考えよ」

1982年(昭和57年)8月16日(月曜日)

「みんなでやれる方法を考えよ」

盂蘭(うら)盆、そして三十七年目の終戦記念日が過ぎた。

閑さや岩に沁みいる蝉の声

芭蕉の句がぴったりの今日このごろである。大丸の「戦争展」をじっくりとみる。戦中、終戦直後の苦しかったこと、ひもじかったことがよみがえってくる。

岡谷の悲惨な工女を題材とした名作「あゝ野麦峠」の作者山本茂実氏の体験的人生論を聞かせてもらった。「喜びとは悲しみの深さである」「自由とは不自由をしたことのないものには理解できるものではない」「まずいものを食べたことのないものに、美味、ということはいえない」など。また「今はすべてが有るという所から出発している。昔はすべてが無から出発している」「今はすべてだれかが悪い、他人のせいにする、他罰時代である」……感銘深い言葉が多かった。

それにひきかえ、国民として何とも歯がゆい行革あらし。ついには「ゴルフ善幸。メザシ土光」なる言葉さえささやかれ出した。ゴルフ三昧(ざんまい)の鈴木総理に対して、メザシをおかずに質素を宗として努力される土光さんに行革ファンとして声援を送りたい。

石門心学に日本人はみずからの経済活動を「仏業」と理解し、物を大切にし、祖先を敬い、感謝の念を忘れないものとある。今はそれに対して「三タイ主義」といっていい。「言いたい放題、食べたい放題、したい放題」で、飢え、寒さ、貧乏の逆境を知らず、それに耐え、辛抱し、我慢することができないのではなかろうか。

そして、その考え方が、えてして環境が人を造る、と思いがちになる。「環境が人を造るのではない。人が環境をつくり、心構えが人間をつくる」ものである。短い夏、低成長、不景気……。ビジネスマンは夏バテもできず、頑張っている。「行革つぶし」なるイヤな言葉を耳にする。「やれない理由を探すより、みんなでやれる方法を考えよ」。私の好きな言葉である。

(慎三)

2011年8月24日水曜日

多様化社会ー価値観をしっかりと

1982年(昭和57年)7月12日(月曜日)

多様化社会ー価値観をしっかりと

産業スパイ事件が世間を騒がせている。もはや「原理はアメリカ、応用は日本」の時代は過ぎたといえる。日本固有の゛本物゛の先端的科学技術開発の開幕である。すでに技術輸出においても米、独と比肩されている。しかし、いまだ我が国が欧米から学ばねばならぬことは、山ほどある。さりとて、卑劣な手段で手に入れることも王道に反する。

個人主義思想の欧米の契約社会ー利益集団に比して、集団主義思想の日本の信頼社会ー協調集団の中では、えてしてオーバーリアクション(群れさわぎ行動)による瞬間的転換作用が起こりやすい。しかし、今や均一的、規格的、同質的社会から、複雑な個性的、多様化社会へと大きく価値観が変わりつつある。

「学ぶとはマネることから始まる」。生産技術、技術開発など現実的、実際的な改良、模倣の領域から、応用研究、基礎研究など未来的思考な比較的創造性の高い領域へと「学ぶ」レベルも上げて行くべきである。

戦前の「正邪善悪」の価値尺度から、戦後は「損得」、「好き嫌い」、「本物・偽善」と大きく変化している。また、東洋式(和風)、西洋式(洋風)の様に対立した価値観が併存している。それは和食・洋食、和服・洋服、日本建築・西洋建築、邦楽・洋楽、日本画・洋画、歌舞伎・オペラ、日舞・バレエから東洋思想・西洋思想、仏教・キリスト教など本質的な風土、民族、歴史の違いとして認識されている。

しかし、この和風、洋風の生活様式、文化、思想、宗教が日本では混然一体となって、同化し地肉となりつつあるのである。実は十分な判断力、鑑識眼、審美眼を持ちえないまま表面的理解に終始しているかもしれないのである。

創造性は多様な異質性の中から生まれるものである。生産性はこの創造性を高めることである。自らの価値観への尺度をしっかりもつべき時代である。

(慎三)

時移っても不変の真理「凡事徹底」

1982年(昭和57年)6月21日(月曜日)

時移っても不変の真理「凡事徹底」

今月は最も身近な人の本が二冊出版された。一冊はこのほど一周忌を迎えたわが社の創業者の遺訓集で、北浦冨太郎語録「なにくそ人生」(近代経営社刊行、八百五十円)である。いつも直接アドバイスを受けていた時にはさほど有り難さも感じなかった事柄が、没後書物となり三十九項目の人づくり、物づくりの語りかけとなって、それを読み返してみて、新たな感懐を覚える。

一説に「間違いのない男」『熱意があればこの世の中で出来ないことはない。ナポレオンではないが不可能ということはあり得ない。通り一遍で巧く行かないと結論を出す人間は人生の敗残者になる。三遍やって出来ない場合でも私は妥協しなかった。何回もアタックすると必ず出来る。手をかけて苦労したものだけが本当に身につく。あきらめずに三遍以上チャレンジする男なら何をやらしてもまず間違いはない』とある。

もう一冊は友人のコンサルタント・名倉康修氏の「幹部必勝の戦陣訓」である。企業戦争、商戦の言葉の示すように゛闘争経済時代゛強存強栄゛の時代といえる。その用兵編に

小才は縁あるを知らず、縁を活かさず、中才は縁あるを知って、縁を活かさず、大才は縁あるを知って、縁を活かす。

とある。「えにし」を大切に。取引先は資産だの意がよくわかる。

経営とは「徹頭徹尾」やることから利益が出る。また奇手奇策はない。あたりまえのことを徹底的にやる。つまり「凡事徹底」が基本である。「なにくそ人生」「戦陣訓」は共にいつの世にあっても脈々として変わらない真理を説いている。二人の個性あふれる人生観と、その壮絶なる生きざまに、敬意をはらうと共に、その偉大な語りかけを果敢に、ただ実行してゆくのみである。

(慎三)

2011年8月23日火曜日

常に熱意を…心構えが人間を作る

1982年(昭和57年)5月24日(月曜日)

常に熱意を…心構えが人間を作る

景気の、長期低迷の中にあって、わが社では全員セールスマン運動として「ガッツキャンペーン」を実施中である。「ガッツ」とは元来腸線のことで、元気、気力、耐久力の意である。本で読んだ知識、経験を通して体得した見識、腹にすえて会得した胆識(筆者の造語だが)があると言われる。真にガッツのある胆識をつけるためにも、このキャンペーンを成功させたい。

工業化社会にあって、国、企業により大変な生産性の差がついている。大量生産、大量販売による同質的社会から多様化社会、個性化社会へと大きく移っている。アルビン・トフラー博士はこれを「第三の波」と言っている。ここに新しい価値観、世界観、社会制度が生まれて来るのではなかろうか。

技術は一般に人々の生活にかかわり合いのない非人間的なものと思われている。しかし戦争の残した技術といわれる原子力、エレクトロニクス、高分子化学はわれわれの暮らしを見違えるほど変えて行った。そして工業製品の陳腐化速度は急速にスピードを上げている。昨日の新製品は今日スクラップ化の運命をたどらないと断言できなくなってきた。

複合材料、バイオテクノロジー、新機能素子と異領域の先端技術の相互乗り入れの必要性を痛感する。創造性は異質性の中から生まれるものである。生産性とは、この創造性を高めることである。ヒンズー教の教典に

「自分が変われば相手も変わる。
心が変われば態度が変わる。
態度が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。」
とある。

環境が人を作るのではなく心構えが人間を作る。

日本人を「仕事中毒」視する向きもあるが、常に目標に向かって持続された熱意をもって思念(反復して思い入れる)することが習慣としてのクリエイティブシンキング(創造的思考)と言えるのである。

(慎三)

2011年8月18日木曜日

「花と緑を愛する」気持ちこそ

1982年(昭和57年)5月3日(月曜日)

「花と緑を愛する」気持ちこそ

緑が目にしみる季節となって来た。四季折々の風情が楽しめる日本の有り難さを改めて痛感する。桜花らんまんだった先月の風景は、すでに緑したたる新緑へと変貌をとげている。

最近、宇宙衛星が撮影した日本本土の赤外線写真をみた。東京、大阪などの大都市圏は枯渇した荒涼たる砂漠のような死の都会像であった。「工場緑化率」など企業の緑化運動がやかましくいわれるが、単に植物の代謝による空気の浄化作用、美観などの効用にとどまらない事が多い。

わが社では毎月十日を「緑の日」と定め、社長をはじめ全社員が定時終了後、除草、散水、施肥、害虫防除などの手入れを行っている。そこに草木を育てる気持ち(人材育成)、緑化による住みよい地域環境づくり(地域社会への貢献)などのために、額に汗することの有り難さがわかる。

また、やたらと入社記念、永年勤続表彰、周年記念、落成記念などの記念植樹を実施している。この因縁所生が、緑を愛する気持ちを育てるものである。゛子孫に美林を残す゛ではなかろうか。

ややもすると公共用地(堤防、道路、公園、広場など)はゴミの掃きだめ化傾向が強いが、会社の周辺公共用地こそわれわれの生活圏の一部と理解して、清掃奉仕、植樹に努めている。

緑化のための余裕スペースがない、人手がない、経費がかさむということで、不熱心な経営者を見受けるが、緑化どころではない、と看過しがちなこの緑化が、実は生産性向上と比例しているとさえも思えるのである。

「花と緑を愛する」気持ち、小さな生命をはぐくみ育てる心。これが事業百年の計に通じているものと思う。緑化は長期計画である。また植える時期を選ぶものである。せめて、小さな島国がGNP(国民総生産)世界第二位の経済大国にふさわしい、緑あふれる国土にするための、なお一層の企業努力をしたいものである。

(慎三)

国際交流の実をあげるために

1982年(昭和57年)4月12日

国際交流の実をあげるために

海外との往来が頻繁である。先日、中国の視察団が工場見学に来られた。通訳が私のスピーチを十分訳せず、「本当の日本語で話してくれ」とクレームがついた。「エレメカ時代のニューテクノロジーの追求には、真の顧客のマーケティングニーズを知ることが肝要で…」と、得意満面でやっていたが、横文字を日常会話にこんなにたくさん使っていたのか、と改めて考えさせられた。いまさら的確な、いい和文が見当たらず、純粋の日本語だけの表現では当意即妙の言い回しにはならないものである。

昔からオペ(手術)とかカルテのように医者はドイツ語を使い、アレグロ(速く)ピッチカート(はじく)などの音楽用語はイタリア語で、プレタポルテ(高級既製服)、オートクチュール(あつらえ洋装店)のようにファッションときたらフランス語と決まっている。何かしら韻律を感じさせるから不思議である。

ジャパニーズ・イングリッシュ(和製英語)といわれるものにメカトロニクス(電子機械)、ナイター(英語ではナイトゲーム)、ノンズロ(チップイン)など枚挙にいとまがない。その逆で「根回し」「稟(りん)議書」「行政指導」などがアメリカの現代用語辞典に載っているのには全く驚きである。

古くは日本、オランダの交流の中で、シャボン、カステラが日本語化し、カタナ(刀)、ボンゾ(坊主)、カッパ(合羽)がオランダ語として定着している。

これからは民族固有の言語文化だけに閉じこもっている時代ではない。エチケット、レイアウト、ドライバーなど直訳語はあるが、原語での表現とはニュアンスの差が大いにある。日本語そのものを大切にすると共に、より豊富な語彙(い)が幅広い表現の可能性をつけてくれるものである。

人の往来により道が出来る。そこに理解が深まり、取引が始まる。固有の持ち味に相互交流による゛異花受精゛の花をそえてこそ、真の国際交流の実と言えよう。

(慎三)

2011年8月10日水曜日

「頭脳資源」を生かし先端技術開発を

毎日新聞 1982年(昭和57年)3月22日(月曜日)

「頭脳資源」を生かし先端技術開発を

いまだ雪深い自動車産業の根拠地デトロイトでロボット展が開かれた。私の会社も十数社の日本企業とともに出展している。そのうち七社はアメリカのGE、IBM、ウェスチングハウスなど十一社にOEMブランド(相手先企業名)でロボットを出品している。「パターン認識」などの先端技術が火花を散らしての日米売り込み合戦である。


大きな地図で見る

アメリカは広大である。気候も景気も考え方も地域によって大きく異なる。東海岸とカリフォルニア、五大湖付近と南部(サンベルト)と話題に花が咲くと、現地の商社支店長氏は「アメリカは二つの国があります。それは景気の良い国(オイルビジネス)と、景気の悪い国(カービジネス)ですよ」と笑い飛ばした。

不景気、インフレ、失業、社会不安、犯罪…。ニューヨークのホテルのロビーで筆者は不覚にも置き引きにあう。病めるアメリカの一面を身をもって体験する。

ハーバード大学の日本研究所にいた巳野保嘉氏は日米の経営比較に「大艦巨砲式海軍型のアメリカ、全員参加野球式陸軍型の日本」と評している。個人主義に対して集団思考、原理研究に対して応用開発、また有資源国で自給自足型の「海軍」に対して無資源国で常に補給を要する「陸軍」はまさに対照的といえる。

アメリカには革新的技術を追うベンチャービジネスが依然多い。これらの進取集団をバックアップする投資家集団がまた大変意欲的で、彼らを支えている。アメリカ経済の巻き返しは深く静かに始まっているのである。

日本人は総じて勤勉でよく働く。しかしアメリカ人の共稼ぎのファミリー単位ではそれ以上だし、特に経営管理層の働きぶりは合理主義に徹している。「日本人はダイナミックである。しかしアメリカ人はイノベーティブだ」の一般的評価があるが、無資源国日本にはかけがえのない「頭脳資源」がある。今こそ先端技術開発に注力し、日本の原理開発時代の春を呼ぶべきである。

(デトロイトにて慎三)

2011年8月8日月曜日

新入社員を迎えるにあたって

毎日新聞 1982年(昭和57年)3月1日(月曜日)

新入社員を迎えるにあたって

庭の梅が毎日蕾を二つずつ膨らませている。「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」が実感として伝わってくる。いよいよ今年もあのブリリアントカラー(輝かしい新入社員のこと)が入ってくる。我が社でも百八人のリクルートの入社である。

石門心学に「形入(ぎょうにゅう)」という語がある。すなわち形から入る。まず形を整えることである。形式主義とは意味がちがう。古典芸能の能に伝わる「守、破、離」に示されているように、まず基本を守ることから始める必要がある。各社で行われる新入社員訓練もこの「初心忘るべからず」の原点から出発すべきである。

我が社では新入社員訓練の締めくくりとして、二泊三日の野外活動訓練を実施している。「同じ屋根の下で、同じ釜(かま)の飯を食い、同じ目的で語り合う」ことを三同効果と呼び、その全人格的教育と人間のふれ合いに大いなる意義を感じるからである。

一方フレッシュマンが入るたびに感ずるのは、中高年の、変に老化現象を起こし、ふけ込む姿である。老化度テストに①最近年齢の話をよくする②身体の不調を訴え、不平不満が多くなる③過去を美化して若かりしころの話をする④若者が信じられないのか話がくどくなる…の四点がある。反省させられる項目である。

二月の初旬、息子に促されて十年ぶりに友人とスキーに行った。少しは億劫(おっくう)であったが、滑るほどに勘がよみがえり、勇気が出て、若人に負けず「倒けつ転びつ(こけつまろびつ)」豪快に斜面を滑降できた。正に爽快(そうかい)であった。若者にまじって行動し、対話する中に、その気持ちが理解、納得でき、理論的にも感覚的にも同化し、精神的若さを感じたものである。

それには少しでも若いいでたちをする→それが若い行動力となり→若々しい頭脳、発想に結びつくのではないか。「頭脳のあらし」を呼び起こすことこそ、生活年齢、肉体年齢を超越した真の若さを保持する秘けつだと思う。

(慎三)

互いにもっと…言葉を交わそう

毎日新聞 1982年(昭和57年)2月1日(月曜日)

互いにもっと…言葉を交わそう

「大寒」。吐く息もいてつきそうな今日このごろである。他民族、他言語の入り乱れる諸外国に比し、単一民族、単一言語の日本人社会では言語、習慣の違いから来るトラブルはほとんどなく、「以心伝心」で思っている事が伝わり、「阿呍(あうん)の呼吸で」で気持ちが通じ合い。「腹芸」で説明がなくても理解が出来るグッド・コミュニケーションの社会だといわれた。

ところが、ゼネレーションギャップというのか、最近では職場のタテ社会の中で意思の疎通を欠くことが多い。それというのも日本語のもつ複雑性、曖昧(あいまい)性、また、敬語(尊敬語、謙譲語)のむづかしさ、ニュアンスなどから来るものと思われる。特に大阪弁の相手(お客)を傷つけないための商人言葉、例えば「適当に…」「それなりに…」など、理解に苦しむ言葉も多いと思う。

それだけに、フィーリング世代の若者にもっと言葉をかける必要があるのではないか。「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょく、すくなしじん)」と中国の言葉にあるが、今では逆ではないか、内面的なものを大いに表現し、言葉という媒体を通してともに語り合い、ともに働きの実をあげる必要があると思う


「お愛想も仕事のうち」である。あいさつがどれだけ職場の潤滑油になっているか。だれにでも、どこでも会釈を交わし、上下の関係なくどちらからもあいさつを送るべきである。こうした人間関係の中に心も通じ合うものである。

「幸せなら態度で示そうよ…」の歌の文句じゃないが、態度と言葉で示さないことには理解し合えない次代になって来ているのではなかろうか。

「今の若いものは外国人みたいだ」と慨嘆した経営者がいたが、それほど疎外感と隔絶感に苛(さいな)まされる言葉はない。

間もなくリクルート(新入社員)が今年も入って来る。職場への適応性と赴任当初の淋(さび)しさに対して「温かい言葉」こそが真の潤滑油と言えるのである。

(慎三)

2011年7月26日火曜日

常に10年先を…商品も人材も

毎日新聞 1981年(昭和56年)12月21日(月曜日)


常に10年先を…商品も人材も

 行く年、昭和56年、一年の総決算の年の暮れである。本年の目標が達成されたのか、の反省から始まって、新年の方針策定と気ぜわしい毎日である。
2009年 の 年末
中ノ島のイルミネーションにて
 社内報の新年号の「今年の十大ニュース」の編集やら、また毎年幹部だけで決めていた経営方針の参考にと、今「あなたの年次モットー」を全社員に提出してもらっている。大いに意見を吸い上げ、具体的行動理念を打ち出したいものである。


 部分品と機械、個人と全体(個人の権利と公共の福祉)、事業所と全社、個別と総覧、ミクロとマクロ(微視と巨視)「木を見て森を見ず、森を見て木を見ず」「馬を走らせて桜を見よ、馬を降りて桜を見よ」の言葉の通り、常に部分の積み重ねと全体把握の重要性を感じた。


 時間と部門の集約が年計であり、全社方針の分析と分担が個別の目標値となってくる。世界経済と日本、業界とわが社の位置づけ、まさに不透明な未来である。この時こそ「十年後のわが社の展望」を予見してみる必要がある。


「十年後の商品」はどうすればよいか。新製品開発は市場関連と技術関連のマトリックスの中で生み出されるわけだが、わが社では不確定な商品計画は仮にX商品、Y商品、Z商品と名づけ「新製品とはマイナーチェンジの繰り返しである」と考えて、開発に果敢に挑戦している。


「十年後の人材」を考えてみると「特長なき企業はつぶれ、特長なき部門は解体され、特長なき人間はいらなくなる」と言われるように、特長ある人材の育成に注力したい。真に問題解決力のある人、リーダーシップのある人が望まれる。


 今こそ十年先を見通し「着眼大局、着手小局」の経営戦略の必要な時ではなかろうか。
(慎三)

2011年7月11日月曜日

心の若さ…青春よ、永遠に

毎日新聞 1981年(昭和56年)11月30日(月曜日)

心の若さ…青春よ、永遠に

師走。一年の総決算。先生もビジネスマンも東奔西走である。最近、名門K高校でさえアルバイト問題を起こした。三ト主義(アルバイト、プレゼント、リベート)と言われるように、先生の倫理観、聖職意識、生徒との連帯などモラルの低下を感じる。

青春の跛(は)行性として、未熟、不安定、高慢、単純、向こう見ず、直裁?、情熱、感受性、打算、裏切り、不正への怒り、挫折などがあげられる。しかし、ここに共話、共感による心の通い、心の若さがあれば、問題の発生は防げたのではあるまいか。

JEC(ジュニア・エグゼクティブ・コミッティー=大阪府経営合理化協会青年経営研究会)が創設されて、この十二月で二十年になる。ジュニア(青年、二世)の言葉にひかれて一三八名のメンバーが集まっている。「グローバルな独創性と、変化に対応する知性を高め 思いやりの心をもって 行動しよう」を記念スローガンとして、二十代から五十代の幅広い年齢層の経営者の切磋琢磨(せっさたくま)による研究会である。青年と熟年、その相互啓発が心気を躍らせるのである。

松下幸之助氏の座右の銘に

青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ
勇気にみちて日に新たな
活動をつづけるかぎり
青春は永遠にその人のものである

という一節がある。生活年齢、肉体年齢に無関係に、気の持ちようで心の若さを保ち続けたいという願望と、常に若くあらねばならぬという自戒の言葉と受けとめることができる。

常に積極的な前進姿勢のもと緊張感が若さを保ち、バイタリティを生みだすものである。また常にフレッシュな気持ち(初心忘るべからず)をもちつづけることが、経営にあっても、教育の場にあっても大切な事である。
(慎三)